2009年11月6日金曜日

家出気長に

今日から合宿始まりました。
南の島と言っても海外じゃなくて一応東京都ですが。
ボクは父さんと一緒に母さんの運転する車で港に向かいました。
港からクルーザーをチャーターしてその島まで向かいます。
ボクはさっそく仕事が始まるので、乗ってきた車に服を置きクルーザーに乗りました。
ボクはこの合宿の間は全日程裸体に徹します。

 父さんが船長さんと盛り上がっているとき、ボクはデッキに立って後から来る生徒さんを待ちました。
他の船に乗っている人から手を振られたりして、サービスしちゃったかな?
生徒さんたちも集まって来ると手を振ってくれました。

 出航してから島に着くまではそのデッキでクロッキーをすることになっていたので、いろんなポーズをとり、描いてもらいました。
今日は到着までこれだけです。
お昼は贅沢ですよ。
釣り上げた魚をその場でさばいて食べたんです。
もう最高ですよ!!
合宿中も近くで釣れるので、毎年楽しみなんです!

 島に到着すると、アトリエになる別荘までレンタカーで移動なんですが、ワンボックスしかなかったのでピストン輸送です。
生徒さんたちはいろいろやらなくてはいけないことがあるので優先的に向かいます。
ということで、着いても座っているだけ(笑)のボクは一番最後になります。
待ってる間あちこち見て回りましたが、島の人たちに見られてちょっと恥ずかしかったです。
でも、のんびりしてていいですね。
裸のボクを見ても、大笑いするくらいで変態みたいに見ないし。
「裸でどうしたの?」
と聞かれたけど、
「絵のモデルをやってるんですよ」
というと
「大変だねぇ。頑張ってね」
といってくれました。

 別荘に無事着いて明日からは海岸で本格的に絵を描き始めます。

2009年11月5日木曜日

家出「東方神起」という名称は誰も使えない?

「分かれたメンバーら、名前はどこへ?」――。

所属事務所と専属契約をめぐり法的紛争を続けている人気アイドルグループ東方神起のメンバーら、ジェジュン(ヒーロー)、ユチョン(ミッキー)、ジュンス(シア)の3人が、「東方神起」という名前を事実上使えなくなるものとみられる。

東方神起と訴訟中の所属事務所SMエンターテイメント側は「東方神起」の商標登録を申請した状況だ。しかし「姓名権」が会社ではなくメンバーらにある、といういくつかの判例により、会社にこれを付与する可能性は現在としては未知数だ。

最近の裁判所の判例では「名前の権利をメンバーが持つ」という見解もあったことから、所属事務所のSM側もこれを使えなくなるかもしれない、という見方も広がる。この場合、東方神起という名前そのものが事実上誰も使えない極端な状況になることも考えられる。

現在対立が深まる状況で、メンバーらに優先権がある東方神起という名前の使用そのものについて、2グループのうちどちらかが異議を申し立てた場合、これを使用できなくなる。このため東方神起という名前の使用は、誰も自由にできず、事実上歴史の中に消える可能性が高いという意見が芸能界一部で広がっている。

会社側と対立中の3人は「東方神起の解散はない。5人が共に歩む」という立場を固守中だ。しかし現在展開中の様相から考えれば、双方の対立は簡単に解消されないとみられる。

ネットユーザーらは「今の東方神起になれたのは、個々人の努力と犠牲があったためとはいうものの、SMという基盤がなかったなら難しかっただろう。東方神起がSMと妥協し、来年初めには再び東方神起のアルバムを聞けるようにしてほしいというのが私の願い」などとし、劇的な妥協を期待している。

2009年11月4日水曜日

家出「鳥肌が立つくらい気持ち良かった」

【巨人7―4日本ハム】阿部に欲はなかった。でも、結果に驚くこともなかった。初対戦の糸数に対し、左中間席に運ぶイメージを持っていたからだ。2回1死。李スンヨプの特大弾直後の打席だった。追い込まれながら甘く入った直球を、左中間席へと叩き込んだ。

「“自分も”とは思わなかったから逆方向に打球が行ってくれた」

試合前のフリー打撃。右の打撃投手に対し、最後の打球は左中間席への一発だった。

昨年は右肩を痛め、日本シリーズはDHでの出場だった。今シリーズは捕手として臨んでいるだけに、気苦労も多い。札幌では2試合で日本ハム打線に24安打を許した。「いいバッターが本当に多い。どっからでも点が入りそう」と印象を口にする。この日の練習中に口の中を見た。でき物があった。「口にヘルペスできちゃったよ。疲れてんのかなあ」。打撃に集中することは至難の状況だった。

それでも打席では切り替えた。1点差に迫られた直後の8回2死満塁。貴重な2点打を右前に運んだ。本拠地初戦。お立ち台で「鳥肌が立つくらい気持ち良かった。最高のボルテージ。ファンの皆さんが後押ししてくれました」と感謝した。原監督は「ここって時にキャプテンがやってくれました」と称えた。

お立ち台を終えた阿部は、ベンチ裏でスパイクのひもを緩めた。捕手としての出場は楽しいか。こんな問いに、笑ってこう答えた。「楽しかねえよ。勝ったら楽しいけど」。日本シリーズで2年連続の一発はチームのシリーズ通算200号の記念弾。9月18日のヤクルト戦(神宮)では、球団の捕手としては初となる、自身200号を放っている。チームを乗せるイメージ通りの一発。阿部が放った、1年で2度目のメモリアルアーチだった。